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最高裁判所第二小法廷 昭和62年(行ツ)3号 判決 1991年3月08日

上告人

特許庁長官植松敏

右指定代理人

加藤和夫

外八名

被上告人

ベーリンガー・マンハイム・ゲゼルシャフト・ミット・ベシュレンクテル・ハフツング

右代表者

マルチン・ダウム

ヘルベルト・フーケ

右訴訟代理人弁護士

牧野良三

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人菊池信男、同大島崇志、同島田清次郎、同岩舩榮司、同小花弘路、同米倉章、同伊沢宏一郎、同船岡嘉彦の上告理由一について

一原審の確定したところによれば、(一)被上告人のした本件特許出願の拒絶査定に対する審判請求において特許庁がした審決は、本願発明の要旨を、別紙明細書抜粋の特許請求の範囲記載のとおり認定した上、第一ないし第六引用例に記載された発明に基づいて本願発明の進歩性を否定し、本件審判請求は成り立たないとした、(二)そして、本件特許出願の明細書の発明の詳細な説明には、別紙明細書抜粋の(1)ないし(10)の記載がある、というのである。

二原審は、右確定事実に基づいて、次のとおり認定判断し、審決には、本願発明の基本構成部分の解釈を誤った結果、同部分の進歩性を否定した違法があり、右の誤りは審決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるとして、これを取り消した。

1  本願明細書の発明の詳細な説明中の前記(4)記載の方法は、リゾプス・アルヒズス(リゾプス・アリッスと同義)からのリパーゼ(以下「Raリパーゼ」という。)によるトリグリセリドの酵素的化による遊離するグリセリンを測定するトリグリセリドの測定方法であるところ、これは、Raリパーゼを使用してトリグリセリドを測定する方法に関する被上告人出願の昭和四五年特許願第一三〇七八八号の発明の構成、すなわち、その特許請求の範囲に記載されている、「溶液、殊に体液中のリポ蛋白質に結合して存在するトリグリセリド及び/又は蛋白質不含の中性脂肪を全酵素的かつ定量的に検出するに当り、リポ蛋白質及び蛋白質不含の中性脂肪をリゾプス・アルヒズスから得られるリパーゼを用いて分解し、かつ分解生成物として得られるグリセリンを自体公知の方法で酵素的に測定することを特徴とする、トリグリセリドの定量的検出法」との構成と実質的に同一である。そして、本願明細書の発明の詳細な説明の記載による限り、本願発明は、(4)記載の測定方法の改良を目的とするものであるから、Raリパーゼを使用することを前提とするものということができる。

2  本願明細書の(4)の記載によれば、本願発明の発明者は、Raリパーゼ以外のリパーゼはRaリパーゼのように許容される時間内にトリグリセリドを完全に分解する能力がなく、遊離グリセリンによるトリグリセリドの測定には不適当であると認識しているものと認められるから、発明者が、右のようなトリグリセリド測定に不適当なリパーゼをも含める意味で本願発明の特許請求の範囲中の基本構成に広く「リパーゼ」と記載したものと解することはできない。

3  本願明細書の発明の詳細な説明に記載された「リパーゼ」の文言は、Raリパーゼを指すものということができる。

4  そうであれば、本願明細書の発明の詳細な説明の記載により前記(4)記載の測定方法の改良として技術的に裏付けられているのは、Raリパーゼを使用するものだけであり、本願明細書に記載された実施例も、Raリパーゼを使用したものだけが示されている。

5  そうすると、本願発明の特許請求の範囲中の基本構成に記載された「リパーゼ」は、文言上何らの限定はないが、Raリパーゼを意味するものと解するのが相当である。

三しかしながら、原審の右の判断は、にわかに是認することができない。その理由は、次のとおりである。

特許法二九条一項及び二項所定の特許要件、すなわち、特許出願に係る発明の新規性及び進歩性について審理するに当っては、この発明を同条一項各号所定の発明と対比する前提として、特許出願に係る発明の要旨が認定されなければならないところ、この要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。このことは、特許請求の範囲には、特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみに記載しなければならない旨定めている特許法三六条五項二号の規定(本件特許出願については、昭和五〇年法律第四六号による改正前の特許法三六条五項の規定)からみて明らかである。

これを本件についてみると、原審が確定した前記事実関係によれば、本願発明の特許請求の範囲の記載には、トリグリセリドを酵素的に化する際に使用するリパーゼについてこれを限定する旨の記載はなく、右のような特段の事情も認められないから、本願発明の特許請求の範囲に記載のリパーゼがRaリパーゼに限定されるものであると解することはできない。原審は、本願発明は前記(4)記載の測定方法の改良を目的とするものであるが、その改良として技術的に裏付けられているのは、Raリパーゼを使用するものだけであり、本願明細書に記載された実施例もRaリパーゼを使用したものだけが示されていると認定しているが、本願発明の測定法の技術分野において、Raリパーゼ以外のリパーゼはおよそ用いられるものでないことが当業者の一般的な技術常識になっているとはいえないから、明細書の発明の詳細な説明で技術的に裏付けられているのがRaリパーゼを使用するものだけであるとか、実施例がRaリパーゼを使用するものだけであることのみから、特許請求の範囲に記載されたリパーゼをRaリパーゼと限定して解することはできないというべきである。

四そうすると、原審の確定した前記事実関係から、本願発明の特許請求の範囲の記載中にあるリパーゼはRaリパーゼを意味するものであるとし、本願発明が採用した酵素はRaリパーゼに限定されるものであると解した原審の判断には、特許出願に係る発明の進歩性の要件の有無を審理する前提としてされるべき発明の要旨認定に関する法令の解釈適用を誤った違法があるというべきであり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点の違法をいう論旨は理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。

よって、更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととし、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中島敏次郎 裁判官藤島昭 裁判官香川保一 裁判官木崎良平)

別紙明細書抜粋

特許請求の範囲

「リパーゼを用いる酵素的化及び遊離するグリセリンの測定によってトリグリセリドを測定する場合に、化をカルボキシルエステラーゼ及びアルキル基中の炭素原子数一〇〜一五のアルカリ金属―又はアルカリ土類金属―アルキル硫酸塩の存在で実施することを特徴とするトリグリセリドの測定法。」

発明の詳細な説明

(1) 「本発明はグリセリドを化し、かつこの際に遊離するグリセリンを測定することによってトリグリセリドを測定するための新規方法及び新規試薬に関する。」

(2) 「公知方法によれば、差当りアルコール性アルカリでトリグリセリドを化し、次いで生じるグリセリンを測定することによりこの測定を行っている。」

(3) 「この公知方法の重大な欠点は、エタノール性アルカリを用いる化にある。この化工程は、さもなければ個有の精密かつ容易に実施すべき方法を煩雑にする。それというのは、この化はそれだけで約七〇度Cの温度で二〇〜三〇分を必要とするからである。引続き、グリセリン測定そのものを開始する以前に、中和しかつ遠心分離しなければならない。」

(4) 「この欠点は、一公知方法で、トリグリセリドの酵素的化により除去され、この際、リゾプス・アリッス(Rhizopus arrhizus)からのリパーゼを使用した。この方法で、水性緩衝液中で、トリグリセリドを許容しうる時間内に完全に脂肪酸及びグリセリンに分解することのできるリパーゼを発見することができたことは意想外のことであった。他のリパーゼ殊に公知のパンクレアスーリパーゼは不適当であることが判明した。」

(5) 「しかしながら、この酵素的分解の欠点は、化になおかなり長い時間がかかり、更に、著るしい量の非常に高価な酵素を必要とすることにある。使用可能な反応時間を得るためには、一試験当り酵素約一mgが必要である。更に、反応時間は三〇分を越え、従って殊に屡々試験される場合の機械的な実験室試験にとっては適性が低い。最後に、遊離した脂肪酸はカルシウムイオン及びマグネシウムイオンと不溶性石を形成し、これが再び混濁させ、遠心しない場合にはこれにより測定結果の誤差を生ぜしめる。」

(6) 「従って、本発明の目的は、これらの欠点を除き、酵素的化によるトリグリセリドの測定法を得ることにあり、この方法では、必要量のリパーゼ量並びに必要な時間消費は著しく減少させられ、更に、沈でんする石けんを分離する必要性も除かれる。」

(7) 「この目的は、本発明により、リパーゼを用いる酵素的化及び遊離したグリセリンの測定によるトリグリセリドの測定法により解決され、この際化は、カルボキシルエステラーゼ及びアルキル基中の炭素原子数一〇〜一五のアルカリ金属―又はアルカリ土類金属―アルキル硫酸塩の存在で行なう。」

(8) 「リパーゼとしては、リゾプス・アリッスからのリパーゼが有利である。」

(9) 「本発明の方法を実施するための本発明の試薬はグリセリンの検出用の系及び付加的にリパーゼ、カルボキシルエステラーゼ、アルキル基中の炭素原子数一〇〜一五のアルカリ金属―又はアルカリ土類金属―アルキル硫酸塩及び場合により血清アルプミンからなる。」

(10) 「有利な試薬組成物の範囲で、特に好適な試薬は次のものよりなる: リゾプス・アリッスからのリパーゼ0.1〜10.0mg/ml」

上告代理人菊池信男、同大島崇志、同島田清次郎、同岩舩榮司、同小花弘路、同米倉章、同伊沢宏一郎、同船岡嘉彦の上告理由

一 原判決には、特許法三六条四項の解釈適用を誤った法令違背があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

1 原判決は、発明の名称を「トリグリセリドの測定法」とする発明(以下「本願発明」という。)の特許出願の願書に添付された明細書(以下「本願明細書」という。)の特許請求の範囲の項には「リパーゼを用いる酵素的化及び遊離するグリセリンの測定によってトリグリセリドを測定する場合に、化をカルボキシルエステラーゼ及びアルキル基中の炭素原子数一〇〜一五のアルカリ金属―又はアルカリ土類金属―アルキル硫酸塩の存在で実施することを特徴とするトリグリセリドの測定法。」と記載されているところ、理由説示二3において、「本願発明の特許請求の範囲中の基本構成に記載された「リパーゼ」の意義について検討する。」(原判決二八枚目裏七、八行目)として、本願明細書の発明の詳細な説明の項に記載された「リパーゼ」の意義について四点にわたって検討した(原判決二八枚目裏九行目から三〇枚目裏四行目まで)上、「本願発明の特許請求の範囲中の基本構成に記載された「リパーゼ」には文言上何らの限定はないが、それはRaリパーゼ(引用者注・リゾプス・アルヒズスからのリパーゼのこと。原判決八枚目裏末行から九行目表初行まで参照。)を意味するものと解するのが相当である。」(原判決三〇枚目裏五行目から同八行目まで)と判示する。

2 しかしながら、原判決の右判示は、特許請求の範囲の項に記載された用語の意義を、何ら特段の事情がないにもかかわらず、発明の詳細な説明の項に記載されている内容を用いて限定的に解釈したものであり、この点において原判決には特許法三六条四項の解釈を誤った違法があるというべきである。以下、その理由を述べる。

(一) 特許出願の願書に添付された明細書に記載される特許請求の範囲(特許法三六条二項四号)の項については、特許法三六条四項に、「特許請求の範囲には、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない。」と規定されており、発明の詳細な説明の項等と区別されている(特許法三六条二項各号)ので、特許請求の範囲の項の記載の意味内容を解釈するには、その記載のみに従い、他の項の記載等を考慮すべきでないことが原則であることは、当然のことである。すなわち、発明の要旨の認定に当たっては、特許請求の範囲の項に記載されている用語の意義が明確ではなく、発明の詳細な説明の項に当該用語の意義を確定するに足りる定義が記載されていて、それを考慮する必要があるなど特段の事情がある場合に特許請求の範囲の項の記載を発明の詳細な説明中の右定義を参酌するなどして合理的に解釈することがあり得るにしても、特許請求の範囲の項の記載が明確であって、その意味内容が確定的に把握できる場合には、その記載のみに従って解釈すべきであり、他の項の記載等を用いて限定的に解釈することは許されないものと解すべきである。

(二) 右のように、発明の要旨の認定に当たっては、特許請求の範囲の項の記載のみに従って解釈することが原則であると解すべきことは、判例上も明らかにされている。

すなわち、最高裁判所昭和四七年一二月一四日第一小法廷判決(民集二六巻一〇号一八八八ページ)は、「特許請求の範囲の訂正が許されるかどうかを判断する前提として、特許請求の範囲は、ほんらい明細書において、対世的な絶対権たる特許権の効力範囲を明確にするものであるからこそ、前記のように、特許発明の技術的範囲を確定するための基準とされるのであって、法一二六条二項にいう「実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するもの」であるか否かの判断は、もとより、明細書中の特許請求の範囲の項の記載を基準としてなされるべく、所論のように、明細書全体の記載を基準としてなされるべきものとする見解は、とうてい採用し難いのである。」と判示し、また、東京高等裁判所昭和四五年四月一五日判決(無体集二巻一号一三五ページ)は、特許請求の範囲が争点となった事案において、「「特許請求の範囲」の記載が明確であって、その記載により発明の内容を適確にはあくできる場合に、この「特許請求の範囲」に何ら記載されていない、「発明の詳細な説明」に記載されている事項を加えて、当該発明の内容を理解することは、右のようにすでに「特許請求の範囲」に記載されている事項の説明を「発明の詳細な説明」の記載に求めることではなく、「特許請求の範囲」に記載されているものに、新たなものを附加することであって、前記のごとく発明の内容の理解が「特許請求の範囲」の記載を基本とし、これによってなされるべきことに反するものであり、出願発明の要旨認定においても、特許発明の技術的範囲の確定にあたっても、許されないところである。」と判示し、東京高等裁判所昭和四五年一一月一七日判決(審決取消訴訟判決集昭和四五年一九七ページ)も、右と同種の事案において、「およそ特許請求の範囲における用語は、特許請求の範囲に明記されているか、発明の詳細な説明に明確に定義されている場合を除き、これを限定的に解釈すべきでないことは、特許法七〇条の規定の趣旨に照らし明らかである。」と判示している。さらに、東京高等裁判所昭和三七年一二月一八日判決(行裁例集一三巻一二号二三〇九ページ)は、旧法下の事案に関するものではあるが、「もともと、発明の構成必須要件は、明細書の特許請求の範囲の項にもとづいて定むべきことは、本件に適用されるべき旧特許法施行規則(大正一〇年農商務省令第三三号)第三八条第五項に「特許請求ノ範囲ニハ発明ノ構成ニ缺クヘカラサル事項ノミヲ一項ニ記載スヘシ」と規定されていることからも明らかであり、ただ、特許請求の範囲の項に記載されたところが不明確で発明の要旨を把握し難い場合はともかく、特許請求の範囲の項に少しも記載されていない事項を明細書の発明の詳細なる説明の項の記載等によって発明の要旨に付加することは許されない。」と判示し、東京高等裁判所昭和五二年四月六日判決(審決取消訴訟判決集昭和五二年四七九ページ)は、実用新案権に関するものであるが、「登録請求の範囲の記載を合理的に解釈するため、そこに表われている技術用語ないし技術的事項で不明確なものの正しい意味内容を考案の詳細な説明の記載の参酌によって確定することは当然許容されるが、考案の詳細な説明に記載されていても登録請求の範囲に記載のないことを加えて考案の内容を理解することは、考案の要旨認定の範囲を逸脱することになるからとうてい許容されない。」と判示している。このように、明細書の特許請求の範囲の項の記載が明確であって、その内容が確定的に把握できる場合は、その記載のみに従って解釈し、発明の詳細な説明の項の記載等を考慮することは許されないと解するのが、判例の一貫した立場である。

(三) これを本件について見ると、本願明細書の特許請求の範囲の項には、前記のとおり、「リパーゼを用いる酵素的化及び遊離するグリセリンの測定によってトリグリセリドを測定する場合に、化をカルボキシルエステラーゼ及びアルキル基中の炭素原子数一〇〜一五のアルカリ金属―又はアルカリ土類金属―アルキル硫酸塩の存在で実施することを特徴とするトリグリセリドの測定法。」と記載されており、右記載から明らかなように、同項には「リパーゼ」を「Raリパーゼ」に限定する趣旨の記載は全くなく、「リパーゼ」はその意義が明確であって、確定的に内容を把握できる用語である。したがって、本件は、本願発明の要旨を認定するに当たり、特許請求の範囲の項の記載のみに従って解釈しなければならない場合であることが明らかというべきである。

なお、本願明細書の特許請求の範囲の項に、「リパーゼ」を「Raリパーゼ」に限定する趣旨の記載がないことは、同項の記載自体から一見して明白であるが、念のため、「リパーゼ」を「Raリパーゼ」と限定して解釈することは、本願発明の目的を考慮しても、困難であることを述べておくこととする。

本願明細書の発明の詳細な説明の項の冒頭には、「本発明は、グリセリドを化し、かつこの際に遊離するグリセリンを測定することによってトリグリセリドを測定するための新規方法及び新規試薬に関する。トリグリセリドの測定は、食料品分析にも、医学的診断の際殊に臨床化学における過脂肪血症の診断の際にも常に重要な役割をはたしている。」と記載されている。これによれば、本願発明の方法が測定の対象としているトリグリセリドは、食料品(これには植物性食品と動物性食品がある。)及び人体の中性脂肪等のそれぞれに含まれるものがあることになり、それらは純粋なトリグリセリドの形の分解しやすい状態で存在することもあれば、リボ蛋白質と結合した非常に分解し難い状態で存在することもあるから、その存在の状態あるいは結合の状態に応じて種々の分解能力の異なるリパーゼが用いられることが理解される(ちなみに、リパーゼは、抽出源の差異によりその分解能力が異なるものであり、豚の膵臓、兎の筋肉、小麦の胚芽、酵母、蜜蜂毒等々、抽出源によって異なる数十種のリパーゼが知られている。)。したがって、本願発明で用いられるリパーゼは、Raリパーゼのみに限定されることがないのは当然のことであり、乙第一号証に記載されている牛の膵臓からのリパーゼや、本願明細書の発明の詳細な説明の項に記載されているパンクレアスーリパーゼ等、現在知られている多数のリパーゼのすべてを含んでいることが明らかである。

そして、更に付言すると、被上告人自身も、出願時からごく最近に至るまで本願明細書の特許請求の範囲の項の「リパーゼ」を「Raリパーゼ」に限定する意思がなく、これを広く「リパーゼ」一般として対応していたものであることは、以下のような経緯から明らかである。すなわち、本願明細書の特許請求の範囲の項の記載は当初より変更されていないところ、上告人は、「リパーゼ」を「Raリパーゼ」に限定することなく、「リパーゼ」一般と理解して、その前提で審査、審判を行い、その間数回にわたり、被上告人に対し、拒絶理由通知をしたが、被上告人は特許請求の範囲を補正することなく、また、「リパーゼ」が「Raリパーゼ」に限定されることを主張したことも一切なかったばかりか、上告人と同様の前提の下に右審査、審判に対応していたのであり(甲第二号証の三、四参照)、さらに、原審においても、被上告人は依然として右と同様の対応を続け、被上告人が特許請求の範囲の項の「リパーゼ」は「Raリパーゼ」に限定されると主張したのは、出願から実に一〇年余を経た、昭和六一年九月三日の原審第一四回準備手続期日において、同年五月二六日付け原告準備書面(第七回)を陳述してからであり、しかも、右準備書面には、「仮定主張」と題し、本願発明の要旨をRaリパーゼを使用するものに仮定的に限定した上で進歩性に関する予備的主張として記載されていたものであって、被上告人が「リパーゼ」を「Raリパーゼ」に限定されると主位的に主張したのは、右準備手続期日において、口頭でしたのが最初である。以上の経緯からすると、被上告人が出願時からごく最近に至るまで本願明細書の項の「リパーゼ」を「Raリパーゼ」に限定する意思がなかったことは明らかである。

(四) 以上のとおり、発明の要旨は、特許法三六条四項により、明細書の特許請求の範囲の項の記載が明確であって、その内容が確定的に把握できる場合には、その記載のみに従って解釈し、発明の詳細な説明の項の記載等を考慮することは許されないと解すべきであるところ、原判決は、右法条の解釈適用を誤り、本願明細書の特許請求の範囲の項における「リパーゼ」は、その意義が明確であって確定的に内容を把握できる用語であるにもかかわらず、これを発明の詳細な説明の項に記載されている内容を用いて「Raリパーゼ」に限定する解釈をしたものであり、この点において、原判決には特許法三六条四項の解釈適用を誤った法令違背があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

二 仮に、前項の主張が認められないとしても、原判決には、特許請求の範囲の項の「リパーゼ」は「Raリパーゼ」を意味するものと認定した点において、経験則違背ないし理由不備の違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

1 仮に、本件において、明細書の特許請求の範囲の項の意味内容を確定するために発明の詳細な説明の項の記載を考慮することが許されるとしても、本願明細書の発明の詳細な説明の項には、特許請求の範囲の項の「リパーゼ」を「Raリパーゼ」に限定するような趣旨の記載はないにもかかわらず、原判決は、理由説示二3において、発明の詳細な説明の項の記載を誤解して特許請求の範囲の項の「リパーゼ」は「Raリパーゼ」を意味するものであると認定したものであって、原判決の右認定には経験則違背ないし理由不備の違法がある。

2 すなわち、原判決は、理由説示二3において、その根拠として四点を挙げて本願明細書の特許請求の範囲の項の「リパーゼ」が「Raリパーゼ」を意味するものであると認定しているが、右認定は、次のとおり論拠に乏しいものであって失当というべきである。

(一) 原判決の理由説示二3(一)(原判決二八枚目裏九行目から二九枚目表六行目まで)について

原判決は「(4)記載(引用者注・原判決二五枚目裏五行目から二六枚目表四行目まで)の方法はRaリパーゼによるトリグリセリドの酵素的化により遊離するグリセリンを測定するトリグリセリドの測定方法であるところ、これと基本発明の構成とが実質的に同一であることは前叙のとおり当事者間に争いがない。」と判示している。しかし、右「基本発明」は被上告人の出願に係る特公昭五九―一五六三八号公報記載の発明(原判決が「特願昭四五―一三〇七八八号」として特定しているもの。以下「別件発明」という。原判決八枚目裏一〇行目から九枚目表三行目まで参照。)を指すところ、上告人は、別件発明が本願発明に対する基本発明の関係にあるとの被上告人の主張を認めたことはなく(原判決事実摘示第三、一1において、上告人の認否として、「原告指摘の本願明細書中の「一公知方法」が原告内部において知られていたという意味であることは争わないが、具体的にこれが基本発明を指すとの点は争う。」(原判決二一枚目表六行目から九行目まで)と明確に記載されている。)、したがって、「これ(引用者注・本願発明)と基本発明の構成とが実質的に同一であることは当事者間に争いのない」との判示は誤りである。

そうすると、原判決は右のような誤った判断を前提として、「しかして、前記のとおり、本願明細書の発明の詳細な説明の項による限り、本願発明は(4)記載の測定方法の改良を目的とするものであるから、本願発明はRaリパーゼを使用することを前提とするものということができる。」との結論を導いたものというべく、したがって、原判決が右に結論するところは、何ら根拠のない誤った判断というほかなく、失当である。

なお、上告人が別件発明と本願発明が基本発明と改良発明の関係にあることを争っているのは、別件発明では、体液中のリポ蛋白質に結合したトリグリセリド又は中性脂肪を対象としているために専らRaリパーゼを使用するものであるのに対し、本願発明では、任意の結合状態ないし存在状態のトリグリセリド、すなわちトリグリセリド一般を対象とするものであるからである。このように、方法の発明であって、その適用の対象を共通とせず、しかも必須構成要件の一つであるリパーゼの種類が一致するものではない以上、両者は到底基本発明と改良発明の関係にあるということはないものである。

(二) 原判決の理由説示二3(二)(原判決二九枚目表七行目から裏三行目まで)について

原判決は「(4)の記載によれば、本願の発明者はRaリパーゼ以外のリパーゼはRaリパーゼのように許容される時間内にトリグリセリドを完全に分解する能力がなく、遊離グリセリンによるトリグリセリドの測定には不適当であると認識しているものと認められるから、かかる発明者が右のようなトリグリセリド測定に不適当なリパーゼをも含める意味で本願発明の特許請求の範囲中の基本構成に広く「リパーゼ」と記載したものと解することはできない。」と判示している。

しかし、「(4)の記載」とは、本願明細書の発明の詳細な説明の項の「この欠点は、一公知方法で、トリグリセリドの酵素的化により除去され、この際、リゾプス・アリッス(Rhizopus arrh-izus)からの①リパーゼを使用した。この方法で、水性緩衝液中で、トリグリセリドを許容し得る時間内に完全に脂肪酸及びグリセリンに分解することのできる②リパーゼを発見することができたことは意想外のことであった。他の③リパーゼ殊に公知のパンクレアスー④リパーゼは不適当であることが判明した。」との記載のことであり(右の「一公知方法」は、原判決により「これが原告内部に知られていた方法という意味であることは当事者間に争いがない。」と判示されている。原判決二五枚目裏六、七行目)、この記載は、一例示又は実施例を示しているものであって、記述自体ないしはその前後の記述からもRaリパーゼに限定する趣旨を読み取ることはできない。したがって、「(4)の記載」により「本願の発明者はRaリパーゼ以外のリパーゼはRaリパーゼのように許容される時間内にトリグリセリドを完全に分解する能力がなく、遊離グリセリンによるトリグリセリドの測定には不適当であると認識している」とする原判決の認定は、その前提とするべき右「(4)の記載」を発明者の意図するところと全くことなった趣旨に解釈したことに基づくものであるから、それを理由として、「かかる発明者(引用者注・被上告人)がトリグリセリド測定に不適当なリパーゼをも含める意味が本願発明の特許請求の範囲中の基本構成に広く「リパーゼ」と記載したものと解することはできない。」とする原判決の判断もまた失当というべきである。

(三) 原判決の理由説示二3(三)(原判決二九枚目裏四行目から三〇枚目表九行目まで)について

原判決は「本願明細書の発明の詳細な説明の項に記載された「リパーゼ」の文言を個別的にみると、(4)の記載中の①、②のリパーゼがRaリパーゼを指し、③④のリパーゼがRaリパーゼ以外のリパーゼ(④はパンクレアスーリパーゼ)を指すことは文理的に明らかであり、(5)の記載(引用者注・原判決二六枚目表四行目から裏二行目まで)中の「非常に高価な酵素」もRaリパーゼを意味するものであることは容易に理解できる。(6)、(7)の記載(引用者注・原判決二六枚目裏二行目から同七行目まで、右七行目から二七枚目表二行目まで)は(4)記載のRaリパーゼによる化の改良に関するものであるから、各記載中の「リパーゼ」もRaリパーゼを指すものということができ、(9)の記載(引用者注・原判決二七枚目表四行目から同九行目まで)中のリパーゼも、右記載箇所までの本願発明のリパーゼに関する記述からみてRaリパーゼを指すものと解せられる。(8)及び(10)の記載(引用者注・原判決二七枚目表二行目から同四行目まで、同九行目から裏一行目まで)はRaリパーゼが基本構成においてトリグリセリド化に有効であることを強調したもので、これらの記載をいくつかある有効なリパーゼのうちのRaリパーゼを選択した趣旨と解することは、他の有効なリパーゼの存在が具体的に示されていない以上相当ではない。」と判示している。

まず、「(5)の記載」とは、本願明細書の発明の詳細な説明の項の「しかしながら、この酵素的分解の欠点は、化になおかなり長い時間がかかり、更に、著るしい量の非常に高価な酵素を必要とすることにある。(以下略)」との記載のことであるが、「この酵素的分解」とは酵素的分解一般を指すことは、その文脈ないし内容のいずれの点から見ても明白であって、「非常に高価な酵素」とは「リパーゼ」一般を意味しており、原判決の「Raリパーゼを意味するものであることは容易に理解できる」との判断は、全くの誤解である。ちなみに、ここで用いられている「非常に高価な」酵素という表現は、トリグリセリドを分解する物質としてのリパーゼという酵素とアルコール性アルカリとを比較したときに、前者が後者よりはるかに高価であるという事実が前提となっているものである。すなわち、数十種にものぼる周知のリパーゼのなかでは、Raリパーゼの価額は比較的高い部類に属するというにとどまり、特に高価なものとも、非常に高価なものともいうことはできず、最も安価なリパーゼでも、アルコール性アルカリと比較すれば、「非常に高価」になるのである。

そうとすれば、「(6)、(7)の記載」は、「(5)の記載」に続くものであり、その文脈ないし内容のいずれから見ても、酵素的分解一般についての記述であることは明白である。したがって「(6)、(7)の記載」中の「リパーゼ」は「リパーゼ」一般を意味しており、原判決が「Raリパーゼ」を指すと判断したのは誤解に基づくものというべきである。

次に、「(9)の記載中のリパーゼ」は、その文脈ないし内容のいずれから見ても全体が酵素的分解一般についての記述であるから、「リパーゼ」一般を意味するものであることは明白であって、原判決の「Raリパーゼを指すものと解せられる」との判断も全くの誤解である。

さらに、「(8)及び(10)の記載」は、前記(二)で述べたのと同様であって、一例示又は実施例を示しているものであり、記述自体ないしその前後の記述からもRaリパーゼに限定する趣旨を読み取ることはできない。したがって、「(8)及び(10)の記載」を特許請求の範囲の項の「リパーゼ」が「Raリパーゼ」を意味することの論拠とした原判決の判断は失当である。

(四) 原判決の理由説示二3(四)(原判決三〇枚目表一〇行目から裏四行目まで)について

原判決は「そうであれば、前記1に引用した本願明細書の発明の詳細の説明の項の記載により(4)記載の測定方法の改良として技術的に裏付けられているのは、Raリパーゼを使用するものだけであり、前掲甲第二号証の一ないし四によれば、本願明細書に記載された実施例もRaリパーゼを使用したものだけが示されていることが認められる。」と判示している。

しかし、繰り返し述べたとおり、右のような事実は、リパーゼをRaリパーゼに限定する趣旨を含むものではなく、それを特許請求の範囲の項の「リパーゼ」が「Raリパーゼ」を意味することの論拠とした原判決は失当というべきである。

3 以上のとおり、本願明細書の発明の詳細な説明の項には、特許請求の範囲の項の「リパーゼ」を「Raリパーゼ」に限定すべき趣旨の記載はないにもかかわらず、原判決は、発明の詳細な説明の項の記載を考慮して特許請求の範囲の項の「リパーゼ」は「Raリパーゼ」を意味するものであると認定したものであるが、右認定は、前記発明の詳細な説明の項の記載の趣旨を誤解したことに基づくものであって、その論拠に欠けるものというべく、その結果、原判決は、右の点において、経験則違背ないし理由不備の違法を犯したものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

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